〔 緊急掲載コラム 〕 その2
● 病床より緊急執筆! 新型コロナウィルス感染記 井上茂徳(競輪解説者)
私、鬼脚は4月7日水曜日午後3時に新型コロナウイルス感染者の入院する佐賀市の指定病院に到着しました。特別な出入り口には5名程の関係者が待機していました。病室までは何も触れないようにと言われました。世界中が新型コロナウイルスに苦しめられていますが、こんな悪魔の病気にコロナという美しい呼び名を付けるべきではありません。
確かに拡大すれば、コロナに似ています。目視もできる太陽の周りに真珠色の淡光として見えるものです。私は釣りをしますが、私なら(キタマクラ.ウイルス)と呼びますね。
キタマクラとはカワハギに似たフグ科で猛毒テトロドキシンを持ちブサイクで、食べたら文字の如く北枕にして横たわらなければならないという意味です。何度か釣り上げましたがお目にかかりたくない魚です。
4月7日当日は、入院前に保健所の聞き取りや、病院では色々な検査が行われ、その後は午後9時頃まで公益財団法人JKAや競輪記者クラブの発病までの経緯などの聞き取りが行われました。翌日午前中も行われ、高熱がありさすがに疲れ果てました。
当然、私は3月29日最終日の福井ウイナーズカップのテレビ中継のゲスト出演、そして取材もしていましたので答える義務がありました。福井で私と接触のあった関係者で感染者が出ていないのには胸を撫で下ろしています。
何も治療が無いまま10日金曜日を迎えました。肺炎が酷くなり血液中の酸素量が減ってきたとドクターから伝えられ、酸素吸入を始めました。このまま状態が改善しなければ13日月曜日からアビガン投与を始めますと言われました。入院して解熱剤を8時間ごとに飲みその都度汗をかき着替えることの繰り返しで衰弱しましたね。当然月曜日からアビガン投与が始まり、翌日からは抗生剤の点滴も始まりました。女房も感染をして入院をしているので、子供達や弟に果物や飲み物などその日に身体が受け付けるような気のする物を買ってきてもらっていました。
アビガンを飲んで3日目の15日水曜日に変化が表れました。なんとか解熱剤を飲まずに朝方37度4分でした。お昼になると36度7分まで落ち着きました。その後も体温調整がまともではないものの、落ち着き始めました。 |