【 コラム colum 】

公営レース賛成派
〜客 席 か ら 本 音 で 語 る 公 営 競 技 〜


公営競技ライター 沢 ともゆき

その二 『公営ギャンブルの面白さと存在意義』 

 客足が衰え始め、そのために何か施策を講じたところ、ろくに何もしなかったところ。そして講じたとしてもその成果は現れず客席は寂しくなるばかり。電話投票、インターネット投票という文明の利器は新しい客層の流入を「やや」招き、売り上げも「やや」持ち直したものの、全体を押し上げるまでには至っていない。選手の首切り、開催の削減の必要性が叫ばれる中、決定的な英断は下されず、日々の開催は赤字に怯えながらダラダラと続く……。以上、公営競技のここ15年と現在を歯に衣着せず簡単にまとめてみた。

 今一番思うのが「公営競技の社会的存在意義」である。ぶっちゃけた言い方をすれば、公営競技ってなんであるの? ということだ。確かに発祥当初は「街の復興資金稼ぎ」が大義名分であった。しかし今はそんな時代じゃないし、その必要もない。しかし数十年の開催の歴史の中で、これら競技はすっかり大衆のレジャーとして根付いた。その根付いたものを維持・発展させてゆくという「第二段階」としての発想が求められているのが現在だ。そんなことは運営側は当然理解しているものとばかり思っていたが、昨今の対応ぶりを見ていると、どうやらそれすらわかってないんじゃないか? ということが多い。なぜ「赤字なら存続の意味がない」と言われて「ハイ、その通りでございます」となってしまうのか? なぜ堂々「現在では市民に娯楽を提供するという立派な意義がある」と言えないのだろうか。はたまた、そんなこと考えてもいないから言えないだけなのか。

 本質を見失ったものは衰退して当たり前。特に「レジャー」という部門についてはそれが顕著だ。衰退した公営ギャンブルは、真面目にその本質を見直す段階に来ている。ではギャンブルの本質とは何か? 簡単だ。「人間(特にオトコ)の本能」だ。本能だから時間も割くし、金も費やす。当然運営側としても、そうした永く続く客に来てもらわなければ安定した売上にはつながらないわけで。更に言えば、本能的であるギャンブルは、ともすればすぐ飽きられてしまう他レジャーに比べて、より永く存続してゆく素養が十分にあるのですよ。

 では「公営レースの面白さ」を客側の立場から具体的に列挙していこう。まず、他のギャンブル(特にインドア系。パチンコ・カジノなど)との比較で言うなら、目の前で「競争」が繰り広げられるということ自体が面白いに決まっている。パチンコなんて、あんな機械と向き合って黙々と遊んでると性格暗くなりますって。最近流行の言葉で言えば「引きこもり」「ニート」的だね、あれは。やっぱり人間たるもの、遊ぶならお外の方がスカッとするというもの。それに「予想」という行為が伴うのもレースギャンブルならでは。パチンコ、更に宝クジなども昨今では攻略本なるものが多くあるようだが、予想と攻略は根本的に違う。「予想」は楽しみながら能動的に行うもので、「攻略」は、黙っているとヤラレてしまうので仕方なくするもの。まぁ異論はあろうが個人的にはそう思う。

 私の友人のオートレース好き・T君は、昼間オートで負けるとその足でパチンコ屋に出向き、負け分を補填するという毎週末を繰り返している(実際、パチンコは本当に強い)。そんな彼に「オートをやめてパチンコだけやってればいいじゃないか」と言うと、「それはできない。オートの方が全然面白いから」と断言する。ならばその面白さは? と問うと、「予想をして、実際レース展開がその通りになってゴールした瞬間には自分が神になったような心持ちになる」のだそうだ。対してパチンコは「ただ金を儲けるために機械的にやっているだけなのでアツくはならないし面白くもない」のだそう。これだけでも「レースギャンブルは大人の知的娯楽」と胸を張って言える好エピソートだろう。それにしてもT君、そんな生活はいいかげん止めたほうが…。オートで勝てるよう頑張ろうね。

 それとは別に、公営レースしかやらない私にとってその面白さとは、やはり「人間対人間」であるというのが一番だ。走るのも人間、買うのも人間。そこに様々なドラマが生まれ、一つとして同じレースはない。全てが一期一会であり、そこに喜怒哀楽を覚える人間としての快感。客は経験を重ねてレースの様々なパターンや選手のクセを覚えてゆく。そんな自分と同年代の選手も、自分と同じく歳を重ねると、体力は衰えても巧い競争をするようになってくる。「アイツもウマくなったなぁ。昔は買えなかったけど」などと思い出話やウンチクを喋るのもまた楽し。レース後の居酒屋では、隣り合った初対面の先輩・後輩が、お互いの経験をぶつけあいながらレース話に花が咲く。こんな連続性(常習性?)のあるレジャーは他にはない。

 かように素晴らしき公営ギャンブル。運営する方々には胸を張っていただきたいし、宣伝をするなら「人間の最高に面白い遊び」と胸を張って謳っていただきたい。「ギャンブルでスミマセン」みたいな卑屈な態度は、ファンとして寂しすぎるのだ。まずはCM・宣伝におけるわけのわからない規制を取っ払う努力をしましょう。そしてメディアにお尋ねする。「射幸心」の何がイケナイというのか!?

(2006年7月5日号)


筆者●沢ともゆき プロフィール

昭和40年代前半生まれ。東京下町在住。20代の頃より全公営レースを最大の趣味とし、本業(旅行ガイドブック取材編集)のかたわら全国レース場を渡り歩く。現在は自ら雑誌編集・デザイン事務所を主宰。本年より公営競技ライターとしてデビュー。

『公営レース賛成派』 <http://www.sanseiha.net/>
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