佐々木忠平氏。
1970年代ジャパニーズロックの中心的バンドだった「めんたんぴん」のリーダー&ヴォーカリストである。この方が昨年、自らが愛して止まない川崎競馬場へのオマージュ的CD『日本競馬狂想曲』を発表された。学生時代より「めんたんぴん」のファンであった私だが、今になっての「競馬」を介しての再会。聴けば、一曲ごとの歌詞からは競馬場への愛が溢れ、「競馬場に行きましょう。私が一番好きな場所です」と締めくくられる。この人と一緒に打ちたい! と思い、早速レコード会社を通じてコンタクトを取ると、9月下旬のある日、突然佐々木氏ご本人から私の携帯にお電話が!
「お誘いありがとう。ぜひ一緒に行きましょう。ちょうど今週は川崎やってますね。明日などどうですか?」
と、いきなり明晩のアポである。憧れのバンドマンとの競馬場デートはこうして実現した。
競馬場に到着。パドック脇でお会いした佐々木氏の第一印象は「大きい人だなぁ」。立派な体躯にイカすパナマ帽。首には双眼鏡をぶら下げ……。お世辞は滅多に言わない私だが、この「馬券師」のいでたちには素直に惚れた。バンドマンとしての氏にも憧れを抱いていたが、馬券師・佐々木忠平は更にカッコイイかもしれないぞ。
まずは初対面を祝して乾杯と、2階の食堂へ。共にビールを飲みながら、氏の地元北陸・金沢競馬の話などを聞かせていただく。自身が競馬を心底楽しんでいる気持ちが伝わってくる。
「競馬場はさ、ジジィの遊び場でいいんだよね」
が、佐々木氏の持論だ。
「バンドマンは結構ギャンブルをやるんですかね?」
「うーん、あまりやらないね。若いヤツは金持ってないし。それより事務所の社長とかが好きなんだ。彼らは手持ちのバンドを自分の馬のように思ってるのかもね。はははは」
階下に戻り、共に打ち始める。氏は徹底した「パドック派」だ。とにかくほとんどの時間をパドック脇で過ごし、レースもパドックの大モニターで観戦することが多い。オッズはたまに見るが、基本的にはパドックでこれは、と思った馬を買う。新聞の印もお構いなしだ。ちょっとお伺いをたててみる私。
「どの馬がいいですかね?」
「8番」
と、即答される8番の馬は…△印が一つだけの穴馬だ。こ、これから買うんですか?
締切直前に発券機へと向かう。私は2番人気の馬を中心に購入。その鞍上は地方競馬の雄・内田博幸騎手だが、実は私的に非常に相性が悪い。いつも買えば来ない、買わなければ来る…の連続なのだ。それを告げると、
「そうなんだ。俺は的場が来ると買ってなくても嬉しいよ」
と、にこやかに話す。
氏が「土の中から生まれた男」と呼び、敬愛する的場文男騎手。CDにも的場騎手へ捧げる『フ・ミ・オ』というバラード曲が挿入されている。いや、その歌詞はバラードというよりも、愛溢れる「演歌」だ。そしてその曲は大井競馬場で的場騎手の公式ソングとして認定されており、ある時、的場騎手のセレモニーが催された際には、場内に一斉に流れた。招待を受け、来場していた佐々木氏だったが、当の的場騎手には声一つかけることなく、遠目に見つめるだけだった、という。
「本人に好きだ、と言ってしまったらその瞬間に愛は終わっちゃうんだよ。女でもね」
うーん、やっぱり演歌だ!
そのレースは内田騎手の馬が勝ち、私は小躍りして喜んだ。
「取ったのも嬉しいけどさ、内田で取ったのがデカいよね」
と、こちらの気持ちを察し、一緒に喜んでくれる佐々木氏。本当に競馬の、競馬場の全てが好きなのだ。
最終レース終了後は川崎駅前の居酒屋で語らう。50代半ばにして依然ロックスピリットを持ち続ける氏の口調は熱い。競馬、音楽はもとより、政治・文化にまで話は及ぶ。
「理想主義が幅を利かせる戦後の日本で、本物のロックは難しい。ロックもギャンブルも本来もっと生々しくあるべきだ」
と。そして、そんな生々しいロックを体現してきた日本ロック界の大御所達には、競馬好きが多いとのこと。
「彼らと一緒に競馬場を旅打ちして回りたいね。昼間は競馬場で騒いで、夜は呑みながらロックを語り合う、という感じで」
うわぁ、それは楽しそうだ。私もぜひギャンブルとロックを愛する一人として同行させてください! と、今から予約。
憧れのバンドマンがこの夜、憧れのギャンブラーになった。
(2006年12月5日号)
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