週間レース <競輪・競艇・オートレース・競馬を網羅した唯一の公営競技総合マガジン>


「鬼脚の一筆点評」まえがき


  

 今朝も蝉にションベンをかけられました。九州地方はうだる暑さが続き、鬼脚は毎朝夕自宅の庭の木に水を撒いていますが人影に驚いた蝉が飛び立つときに透明の液体を飛ばします。樹液だという説もありますが、昔から生まれ育った佐賀の子供達はションベンだと思いこんでいます。7月末にこの挨拶文をかいていますが、公営競技ファンの皆様におかれましてはご健勝のことと思います。社会では腹も立ち蝉のようにションベンをひっかけて逃げ出したい気持ちのときもあるでしょうが、そこは冷静になってスッキリした気持ちで休日は公営ギャンブルでひと儲けしたいものですね。

 さてこのたび週間レースで約4年間執筆した「鬼脚の一筆点評」をムック本として出版することとなりました。昭和53年に武雄競輪場でデビューし、平成11年に引退、それから丸14年が経ちました。トータルで約35年間も競輪界にお世話になっています。私には4人の子供(女・男・女・女)がいます。4人とも結婚して其々に子供もいます。私の孫も8人になりました。これもひとえに公営競技ファンあってのことと感謝しております。

 元々私は子供の頃から自転車と魚釣りが大好きでした。小学校のときは帰宅するとすぐに自転車で釣竿を持ち川や農業用の溜め池などに友達と釣りに行くのが日課でした。その行き帰りは競走していました。ただ当時はまだ体力が無く友達に負けっぱなしでした。まさか競輪選手になってグランドスラマーになるとは思ってもみませんでした。ただ競輪選手になってからは死に物狂いで練習に打ち込みました。私の両親には愛情を注がれていましたが、ただ共働きだったので小学、中学校への車での送り迎えは一度もしてもらったことがありません。それどころか下校時近くの突然の雨でも一度も傘を届けてくれたこともありません。小学生の頃は小さいながらにも、送り迎えをしてもらっている生徒や傘を届けてもらった生徒を見るとうらやましかったことを憶えています。

 しかし昔からハングリー精神とかよく言いますが、大人になってみると苦しかったことや悔しかったことがバネとなって何倍ものパワーになってくるのだと実感しました。平成11年にタイトル戦線から遠ざかったという理由で第52回日本選手権競輪(静岡)を最後に引退しました。その開催で神山雄一郎選手が優勝しグランドスラマーを達成し私の引退に花を添えてくれたと思っています。神山選手も45歳になりましたが、今でもタイトル戦線にいるのは頭が下がります。今、私は55歳ですがこれまで自転車を中心に生活してきました。振り返ってみると好きな自転車で仕事が出来たということは本当に幸せなことですよね。

 しかし私はさらなる幸せを求めているのです。私は魚釣りが大好きなので人生の後半は漁師になってみたいと思っています。というよりもう漁師になったのです。佐世保と有明海に小船を所有していますが、多くの漁師さんと知り合い、付き合いをさせてもらう流れの中で、とうとう有明海漁連の組合員に入れてもらったのです。漁師はぶっきらぼうで付き合いが難しいかと思われがちですが、一旦友達になったらとことん良くしてくれます。今は色々な漁の仕方を教えてくれます。時間がとれたときはすぐに海に出掛けて行く私を見て家族は呆れ果てていますが、それでも大量の魚やエビやイカを持ち帰るとニッコリと微笑んでいます。もうじきすると「漁業活動家」という名刺を作るつもりです。

 競輪が小倉で産声を上げて約65年です。私は昭和53年にデビューしましたが、当時は毎年売上げが上がっていました。私達選手も毎年賞金が上がり良い思いをしました。ただ当時は当然ながら3連単はなく2枠複、2枠単が主流だったのでファンの目もピンポイントで狙った選手を注目していました。また強い自力選手には強いマーク選手が付き本線がしっかりしていたので大口も入っていました。当然ファンは血眼でのレース観戦です。その威圧感を感じながら選手は緊迫感を持って走っていました。マーク屋が競り込んでいける競技規則に改めればファンも買い易くなり昔の隆盛を取り戻せるのですが…。

 今年、母が亡くなり霊園にお墓を作りました。墓石の彫刻は霊園なので自由です。墓石には競輪に感謝して一文字「輪」と入れてその横に真鯛が跳ねている彫刻をしました。今後もファンと共に公営競技を盛り上げていきたいと思います。

平成25年7月 井上 茂徳


  


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