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山口健治さんと戦った想い出は私の宝物 3月20日号


  

 2月25日「山口健治さんを囲む会」に出席させていただきました。32年間の選手生活に幕を下ろした健治さんは私より1年半早くデビューした先輩ですが瞬く間にトップスターに駆け上がりました。

 実質2年4カ月程で立川ダービーを尾崎雅彦さんの先行に乗り優勝しました。その頃を境に本格的な追い込み型に変わっていったと思います。

 私も追い込み選手になりたいと思っていたので、当然憧れでした。そのうちに私も上位に上がり憧れが目標に変わっていきました。とにかく競りの上手さ強さは、その頃は健治さんがNo.1だったでしょう。岩のように重く、ぶつかっても動かない健治さんに競り掛け、私は一方的に5回位失格をしています。

 一方、健治さんはというと私に対して1回の失格でした。それだけ力が違っていたのです。当時の競りは激しく、ひとときの油断も出来ませんでした。特に残り2周を切ってピッチが上がる頃から後方のラインが上昇し併走が始まるのですが、少しでも前走者との間隔が開くと割り込まれたり、放り上げられたりします。私の感覚では、5センチ以上車間が開くと競り負けるという感覚で走っていました。当然、前走者の後輪に接触しながらの走りはいつもでした、理想は1センチしか離さないというような走りを考えていました。
 
 これは健治さんも同じ感覚だったはず。だから当時を経験していない今の追い込み型は走りが甘いのは当然です。ハンドル捌きが未熟で落車し、そこに乗り上げ大量落車を引き起こしています。落車件数を把握しながらのことですが、横の動きの制限を緩和することが出来れば昔のように緊迫感を持つ走りに変わり技術は向上するでしょう。

 「昔の競輪は面白かった」昔を知るオールドファンは口を揃えて言っています。健治さんは「江戸鷹」と慕われていましたが最高のネーミングでしょう。鷹は速くて力強いイメージです。
 
 モンゴルや中央アジアの遊牧民の間では「鷹」は力ある者の象徴として人名に用いられました。健治さん達と「やるか、やられるか」の真剣勝負で戦った想い出は私の宝です。

(平成21年3月20日号)


  


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